ヘロイン
『L.A.ウーマン』録音後の1971年にモリスンは休養することを決め、ガールフレンドのパメラ・カースンとパリへ渡る。モリスンは1971年7月3日にパリのアパートで不可解な状況で死亡した。モリスンはペール・ラシェーズ墓地に埋葬されたが、埋葬の前に検死が行われていなかったことがその後明らかになった。彼の死は恐らくヘロインの過剰摂取によるものであると考えられた。
『L.A.ウーマン』録音後の1971年にモリスンは休養することを決め、ガールフレンドのパメラ・カースンとパリへ渡る。モリスンは1971年7月3日にパリのアパートで不可解な状況で死亡した。モリスンはペール・ラシェーズ墓地に埋葬されたが、埋葬の前に検死が行われていなかったことがその後明らかになった。彼の死は恐らくヘロインの過剰摂取によるものであると考えられた。
1969年3月1日のフロリダ州マイアミでのコンサートで、モリスンはステージ上で性器を露出したとして逮捕される。モリスンは軽犯罪および重犯罪容疑で起訴され、軽犯罪容疑での裁判は引き続いた。判決前にモリスンは語った。「僕はマイアミ事件での裁判でおよそ一年半の多くの時間を浪費した。しかしそれは価値のある経験だったと思う。なぜなら裁判前僕はアメリカの司法制度に対して非常に非現実的な学生のような態度を取っていたからだ。僕の目は少し開いたよ。」
ドアーズのライブ・ステージは挑戦的であり、反抗的だという評判を早々に得ることとなる。1967年の『エド・サリヴァン・ショー』出演時、CBSの担当者は「ハートに火をつけて」の歌詞の一節、"Girl we couldn't get much higher" を、ドラッグを想起させるとして "Girl we couldn't get much better" と変えて歌うよう要求した。しかしながらモリスンはオリジナルの歌詞をそのまま歌い、生放送の番組でそのまま放送された。エド・サリヴァンは非常に怒り、彼らとの握手を拒絶し、ドアーズはその後番組に招かれることはなかった。(激怒したサリヴァンに舞台裏で「二度と出演はないと思え!」と詰め寄られた際、モリスンは「もうエド・サリヴァン・ショウは卒業した…」とサラリと返した、という彼らしいエピソードがある)
モリスンはそのルックスと、身体ラインを浮き立たせる革パンツでのステージ・パフォーマンスで当時のポップ界におけるセックスシンボルの一人となった。彼はいわゆる「ロックスター」であることに極めて自覚的であり、ステージでは革パンツで、セクシャルに立ち振る舞い、雑誌等のインタービューではメディアの飛びつきそうなキャッチーで過激な語句を使用するなど、マスメディアによるグループのイメージ構築を、意図的に、試験的に行っていた。しかし、人気が全米的なものになり、彼はスターとしての地位の中で次第にフラストレーションを感じるようになった。
アルバムはセンセーションを引き起こし、第二弾シングル「ハートに火をつけて(Light My Fire)」は大きなヒットとなった。ビルボード(Billboard)誌では、1967年7月29日に週間ランキング第1位を獲得。1967年ビルボード誌年間ランキングでは第2位となった。バンドはジェファーソン・エアプレインやグレイトフル・デッドと並び1967年におけるアメリカのトップ・バンドの一つとなった。
ウィスキー・ア・ゴーゴーで人気を集め始めたバンドに目をつけたプロデューサー、ポール・A・ロスチャイルドによってドアーズはエレクトラ・レコードと1966年に契約する。それはロスチャイルドおよびエンジニアのブルース・ボトニックとの長く成功したパートナーシップの始まりであった。10分にも及ぶ大作「ジ・エンド」を含むデビューアルバム『ザ・ドアーズ』は1967年1月にリリースされる。アルバムは数日間で収録され、ほとんどの曲は第一テイクが採用された。モリスンとマンザレクは第一弾シングル「ブレイク・オン・スルー」用のプロモーション・フィルムを監督し、それはミュージック・プロモーションの重要な布石となった。「ブレイク・オン・スルー」では曲中の She gets high, という歌詞がドラッグの影響を表す物として放送禁止になることを恐れたエレクトラが、high の部分を消してリリースし長らくその部分を聞くことができなかったが、後にリリースされたリマスター盤で聞くことができるようになった。
モリスンの曲や詩に惹かれたマンザレクは、兄のリックとデンスモアに声をかけデモ・レコードを録音する。リックはすぐにグループを離れ、三人にクリーガーと女性ベーシストを加えたグループはロサンゼルスのロンドン・フォッグやウィスキー・ア・ゴー・ゴーなどでステージ活動を行う。
バンドはオルダス・ハックスレーが18世紀の詩人ウィリアム・ブレークの詩の一節から取った書のタイトル『知覚の扉』を元に、ドアーズという名を付けた。
もし知覚の扉が浄化されるならば、全ての物は人間にとってありのままに現れ、無限に見える。
If the doors of perception were cleansed, everything would appear to man as it truly is, infinite.

カリフォルニア州ロサンゼルスのUCLA映画科の学生であったモリスンとマンザレクがグループを結成する。1965年にマンザレクに出会ったモリスンは、自作の詩と歌を聴かせた。マンザレクは既に兄と共にリック・アンド・ザ・レイヴンズというバンドで活動し、一方クリーガーとデンスモアはザ・サイケデリック・レンジャースというバンドで活動中で、マンザレクは彼らとメディテーション・センターに於いて知り合いであった。