昔の住宅事情
公共施設(この時代では寺院や宮殿)には時代の先端を走る外来文化が急速に採り入れられても、個人の日常生活に直結する住居のようなものは意外と保守的であるという・・・
いつの世にも変らない原則が働いているように思えて興味深いですね。
太政官奏言も、あるいはそのような布告を必要としたところに、新様式の住宅の普及し難かった事情を推測すべきでしょう。
このため、外壁リフォームなどの技術はまだなかったものと考えられます。
寺院・官衙・超高級邸宅と並んで、土壁の用いられたものに倉庫建築があります。
『駿河国正税帳』によれば・・・
同国志太郡の正倉ニ四間のうち一間が、安部郡ではニ三間のうち一間が、そして同国全体の正倉ニ八間のうちでは七間が、それぞれ土倉となっています。
また天平9年『豊後国正税帳』に見る同国球珠郡では、正倉一七間のうち塗壁屋が三間あったそうです。
一方、天平19年付『法隆寺伽藍縁起井流記資財帳』(以下単に『資財帳』)によれば、同寺の倉七間のうち一間が土倉でした。
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